マムシ流 つれづれ草 第13回
【好奇心と観察力、常に疑問を持ちながら、さりげなさを大切に!】
老若男女諸君! 暑いな!
梅雨に入ったと思ったら、あっという間に梅雨明けだっていうじゃないか。
史上最短だってな。早く終わって欲しいのは、戦争とコロナの方だよな。
そんな暑さの中で、この2週間もいろんなことがあったよ。
『ミュージックプレゼント』では、前回に引き続き、赤坂、TBS 近くの、オレが60年来通ってる、『バーバータイヨー』という床屋から放送したよ。先代のオヤジの時から世話になって、今はその倅の兄弟にやってもらってるんだけど、彼らがもう78歳と75歳だっていうんだから驚きだよな。二人は赤坂の生き字引みてえなもんだ。何しろTBSが有楽町から移ってくる以前の原っぱから知ってるんだからね。料亭街だった頃の話や、先代は溜池で泳いだとか、TBSのディレクターの連中がおかみさんによくご飯を食べさせてもらったこととか話は尽きないよ。先代は、ドラマ『私は貝になりたい』でフランキー堺さんが演じた床屋の手のモデルだったんだぜ。
いろんな話に花が咲いたよ。ゆかりの地を訪ねて、あれこれ思い出話をしながら放送するというのはやっぱり楽しいよ。オレのラジオは「見えるラジオ」「触れるラジオ」というのが醍醐味だもんな。
ラジオといえば、『GG放談』では、ラジオについて語ったぞ。
悠里ちゃんもオレもずっとラジオでやってきたし、ラジオが大好きだからな。
オレのラジオの原点は、内幸町時代のNHKのラジオドラマから始まるんだよ。まだ高校生だったな。その後、毎日新聞社が有楽町にあって、TBSもラジオ東京時代、そこにあった時にもラジオドラマに出ていたな。その時、「ラジオの神様」と言われた、和田精さんといって、和田誠さんのお父さんが新日本放送のディレクターとして同じビルにいたんだよ。
だから、オレのラジオの始まりは俳優としてなんだけど、その後、現場からの中継がオレの代名詞になったよ。
一方、悠里ちゃんはアナウンサーとして、スタジオで専らやってただろ。悠里ちゃんには30年間よくいじられていろんなことやらされたよな、ハハハ。
そんなオレたちに大きな影響を与えてくれたのが、永六輔さんだよ。
永さんからはいろんなことを学んだよ。いろんなこともやらされたけどな。
ラジオっていうのは、映像がないだろ。だから、聴取者の想像力をいかにかき立てるかが胆だよね。効果音ひとつとったってそうだし、いろんなアイディアを考えたな。
永さんは、くだらない、些細なことでも真剣に考えていたよ。
土曜ワイドでは、「関東一直線」なんていって、中継で延々真っ直ぐに歩くんだよ。人の家にぶち当たったら、家の中を通らせてもらうとかさ、バカだよ。
「神奈川のビールを東京で飲もう」なんていって、多摩川にホースをまたがせてビールを飲むんだよ。そう簡単には飲めねえよ、ハハハ。
どんなことでも楽しめばいい、ということを教えてもらったし、永さんの好奇心と観察力はすごかったな。常に疑問を持ち続ける少年のような心があったしな。それをさりげなく表現のなかに出していくんだよ。
「表通りだけじゃわからないから、横丁へ入ってみろ」という精神だな。
そんな永さんの精神を、今のクリエイティブな仕事にたずさわる諸君、特にラジオにたずさわる人間には、ぜひ忘れないで受け継いで欲しいんだよ。
悠里ちゃんとオレは、その精神で、引き続き『GG放談』では、くだらない与太話をしていくからな、ハハハ。
そうそう、本日、7月1日と15日の『マムちゃんねる』には、初代ウルトラマンのスーツアクターにしてウルトラセブンではアマギ隊員を演じた古谷敏が2度目の登場だぞ。
今年は『シン・ウルトラマン』で盛り上がっているから、初代『ウルトラマン』も引っ張りだこだよ。いろんな話をするからぜひ見てくれよ!
40年以上前の土曜ワイド
(構成・伊波達也)