マムシ流 つれづれ草 第61回

【わずかになってきた“昭和の残照”を大切に愛でよ】

 ジジイババア諸君! 毎日暑い日が続くな。熱中症にはくれぐれも気をつけてくれよ。
 二十四節気では、来週は、もう夏至だもんな。東京は、これから梅雨が来るっていうのにな。鬱陶しいけど、実りための大切な季節でもある。うまい具合に養生して過ごしていこうぜ。

 前回、ちらっと触れたが、5月31日の『ミュージックプレゼント』で訪れたのは、文京区本郷は菊坂下にある甘味処で食堂の『ゑちごや』さんだった。店の屋号の由来は、新潟出身の初代が親戚を頼って、歩いて上京したというところからだ。歩いてだぜ、すげぇもんだな。その初代が、明治10年に八百屋として創業して、2代目が甘味屋をはじめて、今の3代目が食堂も始めたんだ。
 菊坂と言やあ、明治の文豪たちが愛した由緒正しい土地だよ。あの樋口一葉が、オレの育った竜泉寺に引っ越してくる前にいた場所だ。なんだか、そこにも縁を感じたな。
 3代目のオヤジ・太田泰(ゆたか)さんは今年の8月で88歳になるという、オレより一学年下だが、もうすぐ同い年だ。子どもの頃は東大のキャンパスを遊び場にし、本郷から後楽園一帯を庭にしていたという、気風の良い江戸っ子だ。
 いろんな話を聞いたけど、戦中戦後の東京で生きてきたオレとしては、ワクワクする共感しきりの古い話が満載だったぜ。子どもの時には、講道館で、あの伝説の柔道家・三船久蔵十段に教わったことがあると言うエピソードには恐れ入った。三船十段といえば、嘉納治五郎の理論を受け継いだ、まさに小柄ながら"柔よく剛を制す"を実践した伝説の人だよ。
 この土地は、後楽園球場も間近だから、球場からの歓声もよく聞こえてきて、戦況がわかったと言う。あの長嶋さんが村山さんからサヨナラホームランを打った、巨人対阪神の天覧試合での歓声も聞こえたってよ。
 とにかく、この辺りの昔の話ができる残り少ない語り部、生き証人なんだよ。“ミスター菊坂"と言ってもいいな。忍足さんという郷土研究家の方も話に参加してくれて盛り上がったぞ。
 おかみさんの禮子さんは78歳。宮城県から集団就職で出てきてオヤジと知り合った。とっても温かみのある可愛いおかみさんだ。オヤジは人工股関節になっちゃったけど、今でも毎朝4時起きで仕込みをして大福や団子を手作りしてるんだ。大したもんだよ。昔の職人の心意気だな。こういう店とオヤジが近所にいたら毎日話をしに行きてぇよ。これからも体を大事にして仕事を続けて欲しいな。そしていろんなことを語り継いでくれよ。
 オレも、わずかになってきた"昭和の残照"を大切にしていきたいとつくづく思う。
 そして、そんな“昭和の残照"をオレ自身も語り、それを語れる人々ともっともっと語り合いたいね。
 
 さて、6月15日からの『マムちゃんねる』は、声優の日髙のり子ちゃんの2回目だ。残念ながら可愛い顔が出てこない『ラジオ版』になってるんだけど、1回目に引き続き、楽しい会話ができたぞ。のりこちゃんのデビューの頃の話、古い俳優たちの話など、話題満載だからな。見てくれよ、というか画面を見ながら聴いてくれ!
 それから、先日亡くなった、オレの親友、トンチこと増山江威子についての訃報の記事のいくつかでオレもコメントしたよ。『スポーツ報知』では、劇団山王時代、オレが風紀委員だったなんて話を載せてくれたし、『スポニチ』には、前回このブログで触れた内容を紹介してくれたよ。いつも言うように、人は二度死ぬ。一度目は身体が天に召された時で、二度目はその人のことが忘れ去られ、話題に上らなくなった時だ。
 だから、トンチについては、逝っちゃったオレの他の仲間同様、二度目は死なせないぞ。
いつまでも、しつこく語り継いでいくからな、ハハハ。


 

 

(構成・伊波達也)

〜一覧へ戻る〜